恵文社 文芸部

恵文社一乗寺店が提案する、文学同人誌/リトルプレスの即売イベント。 草の根で活動する詩人や作家らによる、自由で風通しの良い作品発表の場です。

海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録 (平野義昌 / 苦楽堂)

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すっきりした清々しいカバーの白さに目がひかれて手に取ってしまいます。水色のオビとの組み合わせはじつに涼しげで、背の部分に記された「今、本屋の現場で働く仲間たちに」の殺し文句。また、奥付を確認しようと巻末のページをめくってびっくり! 本文・見出し・小見出しにそれぞれ使用されたフォントのほか、カバー紙、本文用紙から花布、スピンに至るまで仕様がこと細かに記される手の込みよう。ボール紙の種類まで掲載する本を見たのはこれが初めてです。

付録の索引、年表を見ても一冊に込められた熱量の高さが計り知られます。本書は2013年に閉店した、神戸は元町商店街の本屋さん「海文堂書店」について、その最後の10年間を従業員として店頭で支えた著者が綴った回顧録です。内容は副題にある通り、街の一書店の「記憶」と「記録」の二本立てで、前者は著者自身の思い出や元従業員からの聞き書きをまとめたもの、後者は99年に渡る同社の歴史をやさしく紐解いた読み物になっています。

仕事柄、とくに私が興味深く読んだのは、店舗が阪神淡路大震災に遭遇した際の実況とそこからの立ち直り(あるいは成り行き)、そして閉店の顛末です。様々な立場でお店にかかわる人びとが、そのときそこで、どのように動き、立ち回ったか。個人の日記や店日誌に即してくわしく記されているので、ぐっと我が身に引き寄せて考えさせられました。

一方で、すこぶる楽しかったのは元従業員の方々による証言、というには堅すぎる思い出話やエピソードの数々。接客や棚づくりにかんして、書店員にとっては苦笑まじりに頷けるものから、なるほどの技ありテクニックまで、お客さんには本屋の現場をかいま見ることのできる貴重な報告で、がぜん活き活きと著者の筆も乗っているようです。

ところで私自身は、閉店の報せを聞きつけ、その半月ほど前に電車を乗り継いで一度きり訪ねただけに過ぎないので、接客や品揃えについていえることはありません。ただ、お店の間取りや棚の配置、そこでみた光景、印象はよく憶えています。店内は明るく、きびきびとした節度が保たれつつも、寛いだ気分で品定めに耽ることができる安心感。あくまで市民の生活に寄り添いながら、心地よく知を刺激してくれる開かれた空間。

その日は晴れた平日の昼下がりで、お客が多く、ざわざわした慌ただしい雰囲気のなかにも、最後まで書店としての役割をまっとうに果たそうとする気持ちのよい心意気を感じました。そして本屋ならではかも知れませんが、ゴールを間近にした商店とは思えないほど品数は豊富で、ほしい本がいくつも見つかりました。数時間かけて選んだ末に、私は古書を一冊と、文庫本一冊を求めて、あの印象的な帆船のあしらわれたブックカバーをかけてもらい、かすかに潮の香る商店街をあとにしました。本書で実況的に描かれた最後の日々の、わずかな時間そこに自分がいられたことをいまは嬉しく思います。

 

(保田)