恵文社 文芸部

恵文社一乗寺店が提案する、文学同人誌/リトルプレスの即売イベント。 草の根で活動する詩人や作家らによる、自由で風通しの良い作品発表の場です。

モランディは語りかけない

 

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先月開催しました文芸部打ち上げの二次会で、言葉をめぐって言葉をたたかわせる不毛な議論がありました。一乗寺駅すぐのインキョカフェさんで、時刻は午前零時をとうに過ぎ、十二分に酒の酔いのまわった一座の命題は「絵画は言葉か?」。友人のNは、絵は言葉だと即断しました。彼の論理は明快です。「絵画にかぎらず音楽も文学も、芸術(表現)はすべて言葉である。なぜなら芸術(表現)は思考の産物であり、われわれの思考は言葉である」。Nのはっきりした主張になるほどと首肯する一方で、明快であることは必ずしも正解であるとは限らないとも思います。明快さが正解とみせるのはよくあることです。といって、有効な反駁はあらわれず、この夜の言葉をつかった言い争いはやがてアルコールの霧にかすんで行方がわからなくなりました。

その席でNが、モランディはすばらしいよ、といいました。この画家の残した作品が、言葉に還元されにくいからという理由です。引き合いに出された同時代の画家、ルネ・マグリットは、哀れにもその作品がぜんぶ三行の言葉で説明できると看破されてしまいました。是非はおくとして、Nの刺激的な言葉に感化され、翌週には灘の兵庫県立美術館を訪ねました。

日本では三度目となる、モランディの大型展覧会。予定されていた五年前の企画が震災の影響で中止となったため、悲願の開催でした。関西での会期はすでに終了しましたが、今後、東京と岩手を回ります。それではNにかわって、モランディの人となりを少し紹介いたしましょう。

ジョルジォ・モランディは、二〇世紀のイタリア人画家。びんや器やはかりといった身の回りの品々を並べた静物画を得意としました。というより、それしか描きませんでした。風景を描いた絵はいくつか残っていますが、そこに人の姿はありません。田舎町にある自宅の一室をアトリエにして、ほこりの積もったうす汚いがらくたを小机の上でいじり回して制作にはげみました。部屋の掃除に入った家人がほこりを払うと激怒したといいます。

家人といっても妻はなく、生涯とおして独身。身の回りの世話は彼の三人の妹たちがみたそうです。美術学校を出たのち、小学校の美術教師を少しやって、そのあと母校の教授職を得て晩年まで務めます。外出を好みませんが、やむをえない理由(美術展への出品や名誉ある賞の授賞式参加など)により、ごくたまに旅行をしたようです。そのたび、時間を無駄にしたといって腹を立てました。訪問客は、たとえそれがいかに高名な同業者であっても、彼が信頼をおく画商の紹介なしには通されません。一方で、お気に入りの映画の関係者となれば喜んで招じ入れ、売らないと決めていた作品も惜しげなく手土産にもたせました。

その人生は、彼が望んだとおり穏やかで平凡きわまりないものでしたが、一度だけトラブルに巻き込まれることがありました。第二次大戦中、反ファシズム運動家の友人の巻き添えをくって、一週間、投獄されたのです。リウマチを患った五三歳の画家にとって、相当きびしい経験だったはずですが、このことについて、とくにみずから語ることはしていません。

沈黙と勤勉の巨人、モランディ(じっさい、身長一九〇センチをこえる偉丈夫でした)。座右の銘は、彼が寝室において愛読した『パンセ』(パスカル著)のつぎの一節、ーー「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだということである」。

いかがでしょうか。以上の簡単な紹介文は、今回の展覧会のすばらしい図録と、『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』(岡田厚司 / 平凡社)を参考にしました。

似たモチーフを無数のバリエーションに展開し、饒舌でありながらけっして語りかけない静物画。それらは閉ざされた制作環境にあって、全世界へ開かれていました。同じびんと箱と器とばかりが並ぶ奇妙な展示会へ、機会があれば足を運んでみてください。

(保田)