恵文社 文芸部

恵文社一乗寺店が提案する、文学同人誌/リトルプレスの即売イベント。 草の根で活動する詩人や作家らによる、自由で風通しの良い作品発表の場です。

「どう生きるか」の兄弟本

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「君たちはどう生きるか」
この小説らしからぬ題をもった小説は今からおよそ八十年前、哲学畑出身の図書館員であった吉野源三郎が、主任をあずかる年少者のための読み物叢書の締めくくりとして上梓しました。ちょうど日中戦争の発端となる盧溝橋事件が勃発した年で、日本が大きな戦争へ急速に傾斜してゆく時勢のなかでの発表でした。

主人公は十五歳の少年、あだ名はコペル。旧制中学に通う彼は、ある日年若い叔父に連れられて出かけた銀座のアパートの屋上で、目まいに似た「妙な気持」に捉えられます。それからというもの、見聞きすることすべてが以前とは違う色味を帯びて眺められ、答えの簡単には得られない疑問への考えがふつふつと湧き出てくるのでした。

やがて彼が遭遇する身を切るような辛い事件、それを「おじさんのノート」を通して温かく見守る叔父のまなざし。あくまで少年のもつ等身大の実感に寄り添いつつ「大人になること」や「モラルの在り方」についてやさしく説いた不世出の物語です。

現在手に入る岩波文庫版では、発表当時すでに作品中の叔父さんの年齢にありながら、世界認識の客観化を少年の成長に託して見事に展開する手際の良さに震撼し、「ものの見かた」を啓かれたという丸山真男による回想が付録されています。こちらも、本編のさらに深い読みへ誘う手引きとして非常に優れています。

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「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
こちらは今から四年前、東北震災の発生直後に作家・梨木香歩がまとめあげた、平成のコペル君の物語です。十四歳、一人暮らしのコペル君は、休日に叔父と連れ立って、自らの意志で学校へ行くのをやめた親友の宅を訪ねます。旧家の大きな屋敷で独り、戦前からの蔵書に囲まれて暮らすユージン。久々に言葉を交わす二人の間には何か気詰まりがあって、お互い戸惑いを隠しきれずにいます。

そこへ次々と集まり来るあらゆる境遇の人びと。秘密を抱えた従妹のショウコ、家を出なければならなくなった少女インジャ、兵役服務中に友人を亡くしたオーストラリア人のマーク。さらには、かつて宅地開発による自然破壊と一人闘った祖母、戦時中召集に抗って山間の洞穴へ身を隠した男……。

それぞれの切実な事情を持つ人の運命が、見えない引力に導かれひととき交わり、一種特殊な磁場が形成されます。そこから浮かび上がってくるのは、昭和のコペル君の時代に空気のように存在し、現在はなきものとして隠され続けてきた一つの事柄。


今このとき併せて読むことで、互いに互いが時代と共鳴しあって忘れがたい読書体験をもたらすであろう物語をご紹介しました。